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上杉謙信から景勝までを終えて
11月25日フレンドリーゾーン定期イベントが無事終了しました。観客はいまいちでしたが内容はとても充実したものとなりました。中之島に願勝寺というお寺がありますがこれは昔今町の上新田にあり上杉謙信のお兄さんの晴影を奉った寺であることを小林PTA会長が実際に現地調査をして報告してくれました。なかなかすばらしい講演だったと思います。またブレークタイムには今中吹奏楽部がアンサンブルを披露してくれました。まだ練習中といっていましたがとても上手だったよ。後半は上杉景勝と直江兼続を中心にお館の乱から関が原までのいきさつが語られました。関が原の瞬間一度は家康を打つチャンスがあったのに景勝はそれを実行しなかった。何でだろう?これはいろいろな小説のテーマになっていますが、わたしは景勝がその器になかったからだとおもいます。人間にはビジョンが必要で天下を取った後のそれが景勝にはなかったからだと思うのです。みなさんはどう思われますか?
裏話
お館の乱で景勝は栃尾の本庄氏を打つわけですが破れた本庄氏は7歳の女の子と5歳の男の子を
藁袋に包んで崖から逃がすのですが男の子は長岡藩草間家の初代剣士になり女の子は巡り巡って成長して徳川秀忠(二代将軍)の妾となって女の子を儲けますが秀忠は本妻に打ち明けられません。仕方なく家康に相談したところ家康がその子を預かりやがてその女は東福門院・源和子と名乗り後水尾天皇の皇后様となります。後水尾天皇と江戸幕府の間には絶えずいざこざがあり春日局が無官のまま参内した事件でついに譲位を明かされ、ここで譲位を受けたのが当時7歳の興子内親王で第109代明正となります。これは称徳天皇以来859年ぶりの女帝であった。女性天皇は生涯独身という不文律があり、これにより後水尾天皇は天皇家における徳川の血を絶やそうとしていたということであります。
栃尾の本庄氏の子孫が天皇家につながっているということですがあなたは信じますか?