自分たちの地域の先輩からいろいろなお話を聞く“先輩に学ぶ会”、今年度は杉澤町の北村 光男さんから第二次世界大戦当時の暮らしについて聞きました。見附第二小学校は以前は国民学校だったそうで、今の駐車場のあたりで戦争に向かう兵隊さんに、町民で組まれたバンドで演奏したり、国旗を振ったり、歌を歌ったりして見送ったそうです。普段の生活では、夜に空襲を受けないために電気の周りに風呂敷を巻いて薄暗くしたり、アメリカ兵が襲ってきた時のために婦人部の人々がヤリで稽古をしていたり、鉄砲の弾を作るため鉄の鍋などは回収されたりしていたそうです。8月1日の長岡空襲(焼夷弾=目標物を焼き払う爆弾)の1週間前には、アメリカ軍が空襲を予告するビラを撒いていたとも。見附市や杉澤町付近にも爆弾が落とされる噂もあったそうです。
 平成生まれの子ども達・・・空襲・防空ずきん・配給などの言葉を聞いてもピンと来ないようで、頭に?マークが浮かんでいるようでした。「おやつ」「おこづかい」「お年玉」などという言葉も今はあるのが当たり前ですが、その頃はなかったそうです。そして最後に「戦争で何もなかったけれどみじめだと思ったことは一度もなく、あるもので楽しく過ごしていました」「もう二度と、絶対に戦争は起こしてはいけません」とおっしゃったことがとても深く心に残りました。お話を全部聞き終わった後、子ども達は思い思いに質問や感想を述べていました。
 P.S.玉音放送・・・何だかご存じですか?天皇陛下の肉声=玉音をラジオで放送することを言うそうです。8月15日正午、昭和天皇によって日本がポツダム宣言を受け入れて降伏したことを、北村さん一家やご近所の皆さんでラジオに耳を付けて聞いたそうです。
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見附第二小学校エプロン特派員Y