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三島億二郎から大橋一蔵宛の書簡
7月2日までネーブルみつけで大橋一蔵宛の書簡展を開催しています。
終了いたしました。
これは、北海道から新潟経由で東京へ行っていた一蔵へ送った、三島億二郎の手紙です。一蔵は、見附―江別―東京を頻繁に行き来しながら北越殖民社の活動を行っていました。このときの上京の目的は、北越殖民社で阿波の移民を受け入れることについて打ち合わせをするためでした。文面からは、殖民活動の資金を支援者から集める苦労などが読み取れます。
発信が明治22年1月26日で、当時東京までは5、6日を要していました。一蔵はこの手紙を読んで間もなくの2月12日、事故に遭い重傷を負って、同月22日に亡くなりました。
要約すると「阿波(徳島県)移民について彼の地(徳島)へ行くことになりそうですが、一時に百戸というのは費用もかさみ、三・四ヶ年に分けたらどうかと関矢(孫左衛門)氏が主張されており、長岡(殖民社の出資者)も同様の説も出ています。先方に交渉の節はこの辺お含み置きください。
その会合の際、先年の挫折よりいやな話も多々ありましたが、損失をおそれるあまりの意見であって、先回の二十戸は費用が少なく移住出来たこともあり、五十名の同盟者が協力するならば賛成者を五名増加させることは難しくないでしょう。
同盟者に協力してもらうには、良い結果を出し損失を少なくするしかありません。江別二十戸の成功を見て同盟者が少しはやる気を起こすでしょうが、この辺は慎重にして失敗の無いようにしたいものです。
阿波移民については会議で決まった事で今更変更も出来ないが、一言言わせて貰いました。
上京後は旧知の方と会合、新規の見聞など楽しくお過ごしのことと思います。麻布にご面会の節は宜しくお伝え下さい。」といったことが書かれています。
注 ※戮力=力を合わせること ※悦服=よろこび従うこと ※贅言=無益なことば ※麻布=松方正義のことか?当時松方正義は麻布に住んでいました